野村萬斎氏の演出が楽しみな東京オリンピック

何かと問題が多く、未だ前途多難なイメージの東京オリンピック2020ですが、開会式・閉会式の演出が野村萬斎氏に決定したらしい。これは楽しみかも♪
野村萬斎氏の本職である狂言では拝見したことはないのですが、表現に関しての視点がいわゆる伝統芸能の人とは違うなと感じておりました。
20年以上前のことだったと思います。
新聞の日曜版か何かのコラムで、日本の舞踊と西洋の舞踊とを比べて、ご自分の考えを書かれていました。
日本の舞踊は足を踏み、意識が地に向かっている。
西洋の舞踊はバレエに見られるよう、上に向かって跳ぶ。
意識が天に向かっている。
これは信仰する神に関係しているのではないか。
農耕民族である日本人にとって、神は地に存在し、西洋では神は天に存在する。
舞踊とは神に向けてなされる行為である。
私のアレンジが相当入ってしまっているかもしれませんが、何となくこのような内容だったと思います。(かなり昔の話で記憶が…)
私は子どもの頃、日本舞踊を習っていたせいか、このコラムがとても印象に残りました。
この考えでいくと、フラメンコはどうなのかと?
フラメンコといえばスペインですが、元々はアフリカ大陸からの流浪の民、ヒターノ(スペインジプシー)の踊りです。
そのご先祖にとって、神は地にいたのだろうかと想像をふくらませます。
タップダンスはアフリカから奴隷船で連れてこられた黒人が生み出したダンスです。
ルーツが西洋ではないのですね。
話が横道にそれてしまいました。
男子フィギュアスケート金メダリスト、羽生結弦選手の代表作ともいえる「SEIMEI」。
このプログラムを初めて見た時は、それまでのプログラムと比較して特に良いとは思っていませんでした。
その試合の後、テレビで野村萬斎氏と羽生選手の対談企画が放送されました。
野村萬斎氏の羽生選手に対する説明やアドバイスは、能・狂言のメソッドを例にとったり、ロジカルで具体的でした。
見せ方、メリハリの付け方。そして動きに対する意味付け。
羽生選手はとても熱心に聞いていました。
素人の私が聞いていても、そのお話は非常に興味深かったです。
そしてさらにすごいなと思ったのが、その対談以降の羽生選手の「SEIMEI」が急激に見違えるほど素晴らしくなったのです。
まさに一皮むけ、存在感・磁力がグレードアップし、オーラが強くなった感じでした。
野村萬斎氏の影響がなければ、あの「SEIMEI」はなかったのではないかと思います。
(もちろん羽生選手が理解・吸収し表現できる才能の持ち主というのが大きいです)
野村萬斎氏のあの感覚だけでないロジカルな物の見方は、28歳の時の英国留学がベースにあるのかもしれません。
イギリスでは狂言のワークショップも行ったそうです。
日本人にとっては感覚的にあたり前のことを外国人に伝えるために、ひとつずつ自分の中で確認していく体験をしていったそうです。
イギリスを「鏡」にして自分自身を問いなおした……と表現されています。
STORY:野村萬斎さん(狂言師)
https://www.britishcouncil.jp/about/campaigns/60th-anniversary/story/mansai-nomura